2010年6月14日

Chiquita Brands International(July 6th)

第12回目(7月6日)
<講義テーマ>ローカリズム、リージョナリズム、グローバリズム
ケース④:“Chiquita Brands International (A)” Harvard Business School Case
<講義のねらい>
・ 二国間、地域間、多国間経済協定の影響
・ 政策の変化に伴うグローバル企業への影響
・ 外部環境の変化への戦略的対応 -脅威と機会-

※論文(CiNii)
[PDF]バナナ産業と多国籍企業(1) : 1990年から2006年におけるバナナ産業構造の変化とチキータの対応
[PDF]バナナ産業と多国籍企業(2) : 1990年から2006年におけるチキータの社会・環境問題への対応

ラテンアメリカの一次産品輸出産業・調査研究報告書アジア経済研究所(2006年)第4章 エクアドルのバナナ産業と対日貿易
EUとラテンアメリカのバナナ輸入関税をめぐる争いは「史上最長の通商紛争」と呼ばれた。
バナナは果実の中で最大の貿易量を持ち、中米諸国では米国系多国籍企業(ユナイテッド・フルーツ社など)による農園生産と市場支配が行われてきた。
EU は、旧植民地のACP(アフリカ・カリブ・太平洋)諸国からのバナナに無関税輸入枠を設けて優遇してきたため、ラテンアメリカのバナナ生産国との間で、1990 年代を通じて両者間で「バナナ戦争」と呼ばれる貿易問題が続いてきた。
WTO(世界貿易機関)は1997 年にEU 敗訴の裁定を下したが、これを受けてEU は2006 年以降、ラテンアメリカからのバナナ輸入に対する全面関税化の導入に踏み切り、関税を1 トン当たり75 ユーロから230 ユーロへと引き上げた。
このため、ラテンアメリカ側は再びWTO に仲裁を申し立て、2009年12月、関税の段階的な削減の合意が行われた。これによると、EUは現行1トン当たり176ユーロの関税を段階的に削減、遅くとも2019年までに同114ユーロまで引き下げる。

Banana Wars: Challenges to the European Union's Banana Regime
Description: When a new banana import policy is implemented in 1993 by the European Union, Chiquita Brands International, the world’s largest banana distributor, watches its sales and net income plummet. The policy, Council Regulation (EEC 404/93), uses a new tariff and quota scheme to support the import of European territory bananas and significantly reduce Latin American banana imports, Chiquita‘s primary business. As a result, Chiquita sustains losses totaling $400 million between 1992 and 1994. To combat the EU policy, Chiquita files a Section 301 Petition with the U.S. Trade Representative. Yet CEO Keith Linde knows that even a successful 301 investigation can produce only medium-to long-term results. In 1995, Chiquita still faces the immediate necessity of improving the company's grim financial position.

チキータ 業績
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920011&sid=aqI3Cyj7mlz0
http://finance.yahoo.com/q/is?s=CQB+Income+Statement&annual

バナナの涙(ブログ)
http://ameblo.jp/rintaro-o/entry-10039452635.html

2010年5月19日

SHISEIDO

BPI Beauté Prestige International
(ボーテ・プレステージ・インターナショナル)
1990設立
http://www.bpi-sa.com/chiffres-cles-en.php
孫会社の解散に関するお知らせ
http://www.shiseido.co.jp/releimg/1458-j.pdf
当社によるBare Escentuals, Inc.買収について
http://www.shiseido.co.jp/ir/img/pdf/cms/ir20100115_125.pdf?fk=r00001
BPI エリサーブ氏と契約。「イッセイ ミヤケ」「ジャンポール ゴルチエ」「ナルシソ ロドリゲス」に次ぐ4ブランド目
http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/top/index.cfm?i=2009100708972b1
事業内容 : 欧州における資生堂グループの持株会社
http://release.nikkei.co.jp/attach_file/0239178_01.pdf
資生堂の新マーケティング
http://www.shiseido.co.jp/ir/library/s0803jig/html/jig003.htm
メタナショナル経営論からみた日本企業の課題:グローバルR&D マネジメントを中心に(浅川和宏)
http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/06j030.pdf
トランスナショナル経営論以降のグローバル経営論.pdf
http://www.toyo.ac.jp/fba/keieironshu/pdf75/08_nakamura.pdf
香水の流通とブランド
INTERMODE KAWABE 川辺株式会社
ケース③「資生堂フランス1998年」の課題
1.本格的な国際化を取り組み始めた資生堂にとって、国際事業を成功させる意味はどのような点にあるのでしょうか。
2.日本中心のグローバル化は可能だと思いますか。限界があると考えますか。いずれか自分のスタンスを明らかにして、その理由を述べてください。
3.SL(資生堂ライン)とOSLを分離することは、資生堂のグローバル経営にとって、どのような利点と問題点がありますか。
4.資生堂の全体において、BPIの成功経験は移転可能でしょうか。今後、本社および他の地域において、どのように生かされるべきでしょうか。

6/1(火)講義開始時に提出、メールでの提出は20:00迄。A4 3-5枚程度、氏名・学籍番号明記、ホッチキス止め

第7回目(6月01日)
<講義テーマ>国際経営組織日本企業の国際経営の課題
ケース③:「資生堂フランス1998年」慶応義塾大学ビジネス・スクール・ケース
<講義のねらい>
・ 海外オペレーションの管理と意思決定の権限
・ 人材の現地化とグローバル・スタッフの養成
・ 子会社の成功事例を如何に移植するのか

<参考文献等> 
「資生堂フランス1998年」慶応義塾大学ビジネス・スクール・ケース(文献番号5138)浅川和弘・Yves Doze(2001年)
石田英夫編著(1999年)『国際経営とホワイトカラー』1~19、117~130ページ、中央経済社
江夏健一・高井透・土井一生・菅原秀幸編 (2008年)『グローバル企業の市場創造』29~50ページ、中央経済社

2010年5月16日

MCDecauxについて
OOH (Out Of House)広告を中心に都市景観整備/ストリートファニチャー事業を日本で手掛ける、仏JCDecauxと三菱商事との合弁会社


MCDecaux(エムシードゥコー)シティスケープ http://www.mcdecaux.co.jp/city/index.html
JCDecausAsia
http://www.jcdecauxasia.com/
広告業界へのインパクト:エムシードゥコーの躍進日本におけるエムシードゥコーの発展のポイント
http://www.lalettremensuelle.fr/spip.php?article3455
パリクラブ:屋外広告メディア分野で活躍するフランス企業 エムシードゥコーとDEFIグループ
http://www.lalettremensuelle.fr/spip.php?article3005&lang=ja 
話題のOOH広告って何?
http://www.toyokeizai.net/business/industrial/detail/AC/ce72bd5263c3652e5a37b02930251a9f/page/2/





バス停とシュバリエ叙勲 大山 昇(おおやま・のぼる 会友) 大山 昇(おおやま・のぼる 会友)1968年、早稲田大学卒、三菱商事入社。1997年、フランス三菱社長。当会副会長。 1999年。JC DECAUX 入社。現在、エムシー・ドゥコー(JC DECAUXと三菱商事の合弁会社)取締役.  

フランスでも立志伝中の仁といわれるジャン・クロード・ドゥコー氏にヌイイーの大きなオフィスで会ったのは1997年のことだった。 「日本でJCDのストリート・ファニチャの仕事をしたいのですが」という申し出に対して、にべもなく 
「道路建築物の許可決定のシステムが曖昧な日本への進出など関心はない」 とにこりともせず、冷ややかに言い切る彼の言葉にうちひしがれて約10年が経過した。  
幸いにも国際化を前にしたJCDは若い世代に経営が移行し、息子のジャン・シャルルがパリのオフィスを訪ねてくれた。 その時から日本では法的に禁止されているが、規制緩和も含めいっしょにやろうという協力関係が始まった。 正直な話、日本での実施には自信はなかった。たかがバス停を設置するのに数百ページにも及ぶ申請書、 縦割り業務、盥回し、前例のないものは取り上げない官僚機構が自らの旧態依然の仕事にしがみついている 実情を知れば知るほど、この事業の障壁の高さに恐れたものである。今まで官庁と直接仕事をした経験を持たない 自分には、なにもかも驚くことばかりで出口のないトンネルに入ってしまったとほぞを噛む思いも何度したことだろう。 
それでも、パリでの日々の生活で見る白と赤のマークのドゥコー社の業務車両や作業員、そして楽しいポスターで 人の気持ちを和ませてくれる洒落たバス停が、どうして東京にないのかという素朴な執念とパリの優れたランドスケープを 日本につくりたいという強い気持ちだけはあった。 その時から、たった一人で4年かけて国土交通省、警察庁との長い交渉の果てに得たのが、 2003年の「広告付きバス停留所上屋の設置許可」であった。 その苦労が実って、岡山、横浜、名古屋、神戸と今では、日本の多くの都市がこの事業を取り上げてくれた。(後略)