OOH (Out Of House)広告を中心に都市景観整備/ ストリートファニチャー事業を日本で手掛ける、 仏JCDecauxと三菱商事との合弁会社
MCDecaux(エムシードゥコー)シティスケープ http://www.mcdecaux.co.jp/city/index.html
JCDecausAsia
http://www.jcdecauxasia.com/
広告業界へのインパクト:エムシードゥコーの躍進日本におけるエムシードゥコーの発展のポイント
http://www.lalettremensuelle.fr/spip.php?article3455
パリクラブ:屋外広告メディア分野で活躍するフランス企業 エムシードゥコーとDEFIグループ
http://www.lalettremensuelle.fr/spip.php?article3005&lang=ja
話題のOOH広告って何?
http://www.toyokeizai.net/business/industrial/detail/AC/ce72bd5263c3652e5a37b02930251a9f/page/2/
MCDecaux(エムシードゥコー)シティスケープ http://www.mcdecaux.co.jp/city/index.html
JCDecausAsia
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広告業界へのインパクト:エムシードゥコーの躍進日本におけるエムシードゥコーの発展のポイント
http://www.lalettremensuelle.fr/spip.php?article3455
パリクラブ:屋外広告メディア分野で活躍するフランス企業 エムシードゥコーとDEFIグループ
http://www.lalettremensuelle.fr/spip.php?article3005&lang=ja
話題のOOH広告って何?
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バス停とシュバリエ叙勲 大山 昇(おおやま・のぼる 会友) 大山 昇(おおやま・のぼる 会友)1968年、早稲田大学卒、三菱商事入社。1997年、フランス三菱社長。当会副会長。 1999年。JC DECAUX 入社。現在、エムシー・ドゥコー(JC DECAUXと三菱商事の合弁会社)取締役.
フランスでも立志伝中の仁といわれるジャン・クロード・ドゥコー氏にヌイイーの大きなオフィスで会ったのは1997年のことだった。 「日本でJCDのストリート・ファニチャの仕事をしたいのですが」という申し出に対して、にべもなく
「道路建築物の許可決定のシステムが曖昧な日本への進出など関心はない」 とにこりともせず、冷ややかに言い切る彼の言葉にうちひしがれて約10年が経過した。
幸いにも国際化を前にしたJCDは若い世代に経営が移行し、息子のジャン・シャルルがパリのオフィスを訪ねてくれた。 その時から日本では法的に禁止されているが、規制緩和も含めいっしょにやろうという協力関係が始まった。 正直な話、日本での実施には自信はなかった。たかがバス停を設置するのに数百ページにも及ぶ申請書、 縦割り業務、盥回し、前例のないものは取り上げない官僚機構が自らの旧態依然の仕事にしがみついている 実情を知れば知るほど、この事業の障壁の高さに恐れたものである。今まで官庁と直接仕事をした経験を持たない 自分には、なにもかも驚くことばかりで出口のないトンネルに入ってしまったとほぞを噛む思いも何度したことだろう。
それでも、パリでの日々の生活で見る白と赤のマークのドゥコー社の業務車両や作業員、そして楽しいポスターで 人の気持ちを和ませてくれる洒落たバス停が、どうして東京にないのかという素朴な執念とパリの優れたランドスケープを 日本につくりたいという強い気持ちだけはあった。 その時から、たった一人で4年かけて国土交通省、警察庁との長い交渉の果てに得たのが、 2003年の「広告付きバス停留所上屋の設置許可」であった。 その苦労が実って、岡山、横浜、名古屋、神戸と今では、日本の多くの都市がこの事業を取り上げてくれた。(後略)
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