2010年5月19日

SHISEIDO

BPI Beauté Prestige International
(ボーテ・プレステージ・インターナショナル)
1990設立
http://www.bpi-sa.com/chiffres-cles-en.php
孫会社の解散に関するお知らせ
http://www.shiseido.co.jp/releimg/1458-j.pdf
当社によるBare Escentuals, Inc.買収について
http://www.shiseido.co.jp/ir/img/pdf/cms/ir20100115_125.pdf?fk=r00001
BPI エリサーブ氏と契約。「イッセイ ミヤケ」「ジャンポール ゴルチエ」「ナルシソ ロドリゲス」に次ぐ4ブランド目
http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/top/index.cfm?i=2009100708972b1
事業内容 : 欧州における資生堂グループの持株会社
http://release.nikkei.co.jp/attach_file/0239178_01.pdf
資生堂の新マーケティング
http://www.shiseido.co.jp/ir/library/s0803jig/html/jig003.htm
メタナショナル経営論からみた日本企業の課題:グローバルR&D マネジメントを中心に(浅川和宏)
http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/06j030.pdf
トランスナショナル経営論以降のグローバル経営論.pdf
http://www.toyo.ac.jp/fba/keieironshu/pdf75/08_nakamura.pdf
香水の流通とブランド
INTERMODE KAWABE 川辺株式会社
ケース③「資生堂フランス1998年」の課題
1.本格的な国際化を取り組み始めた資生堂にとって、国際事業を成功させる意味はどのような点にあるのでしょうか。
2.日本中心のグローバル化は可能だと思いますか。限界があると考えますか。いずれか自分のスタンスを明らかにして、その理由を述べてください。
3.SL(資生堂ライン)とOSLを分離することは、資生堂のグローバル経営にとって、どのような利点と問題点がありますか。
4.資生堂の全体において、BPIの成功経験は移転可能でしょうか。今後、本社および他の地域において、どのように生かされるべきでしょうか。

6/1(火)講義開始時に提出、メールでの提出は20:00迄。A4 3-5枚程度、氏名・学籍番号明記、ホッチキス止め

第7回目(6月01日)
<講義テーマ>国際経営組織日本企業の国際経営の課題
ケース③:「資生堂フランス1998年」慶応義塾大学ビジネス・スクール・ケース
<講義のねらい>
・ 海外オペレーションの管理と意思決定の権限
・ 人材の現地化とグローバル・スタッフの養成
・ 子会社の成功事例を如何に移植するのか

<参考文献等> 
「資生堂フランス1998年」慶応義塾大学ビジネス・スクール・ケース(文献番号5138)浅川和弘・Yves Doze(2001年)
石田英夫編著(1999年)『国際経営とホワイトカラー』1~19、117~130ページ、中央経済社
江夏健一・高井透・土井一生・菅原秀幸編 (2008年)『グローバル企業の市場創造』29~50ページ、中央経済社

2010年5月16日

MCDecauxについて
OOH (Out Of House)広告を中心に都市景観整備/ストリートファニチャー事業を日本で手掛ける、仏JCDecauxと三菱商事との合弁会社


MCDecaux(エムシードゥコー)シティスケープ http://www.mcdecaux.co.jp/city/index.html
JCDecausAsia
http://www.jcdecauxasia.com/
広告業界へのインパクト:エムシードゥコーの躍進日本におけるエムシードゥコーの発展のポイント
http://www.lalettremensuelle.fr/spip.php?article3455
パリクラブ:屋外広告メディア分野で活躍するフランス企業 エムシードゥコーとDEFIグループ
http://www.lalettremensuelle.fr/spip.php?article3005&lang=ja 
話題のOOH広告って何?
http://www.toyokeizai.net/business/industrial/detail/AC/ce72bd5263c3652e5a37b02930251a9f/page/2/





バス停とシュバリエ叙勲 大山 昇(おおやま・のぼる 会友) 大山 昇(おおやま・のぼる 会友)1968年、早稲田大学卒、三菱商事入社。1997年、フランス三菱社長。当会副会長。 1999年。JC DECAUX 入社。現在、エムシー・ドゥコー(JC DECAUXと三菱商事の合弁会社)取締役.  

フランスでも立志伝中の仁といわれるジャン・クロード・ドゥコー氏にヌイイーの大きなオフィスで会ったのは1997年のことだった。 「日本でJCDのストリート・ファニチャの仕事をしたいのですが」という申し出に対して、にべもなく 
「道路建築物の許可決定のシステムが曖昧な日本への進出など関心はない」 とにこりともせず、冷ややかに言い切る彼の言葉にうちひしがれて約10年が経過した。  
幸いにも国際化を前にしたJCDは若い世代に経営が移行し、息子のジャン・シャルルがパリのオフィスを訪ねてくれた。 その時から日本では法的に禁止されているが、規制緩和も含めいっしょにやろうという協力関係が始まった。 正直な話、日本での実施には自信はなかった。たかがバス停を設置するのに数百ページにも及ぶ申請書、 縦割り業務、盥回し、前例のないものは取り上げない官僚機構が自らの旧態依然の仕事にしがみついている 実情を知れば知るほど、この事業の障壁の高さに恐れたものである。今まで官庁と直接仕事をした経験を持たない 自分には、なにもかも驚くことばかりで出口のないトンネルに入ってしまったとほぞを噛む思いも何度したことだろう。 
それでも、パリでの日々の生活で見る白と赤のマークのドゥコー社の業務車両や作業員、そして楽しいポスターで 人の気持ちを和ませてくれる洒落たバス停が、どうして東京にないのかという素朴な執念とパリの優れたランドスケープを 日本につくりたいという強い気持ちだけはあった。 その時から、たった一人で4年かけて国土交通省、警察庁との長い交渉の果てに得たのが、 2003年の「広告付きバス停留所上屋の設置許可」であった。 その苦労が実って、岡山、横浜、名古屋、神戸と今では、日本の多くの都市がこの事業を取り上げてくれた。(後略)